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バプテスト教会とは・・・・キリスト教会の歴史をひもといて・・・・

N/C 2002.11 T.Yamada
A 改訂2003.7.17 T.Yamada
B改訂2005.7.9T.Yamada
C改訂2014.7.26T.Yamada


  キリスト教会は、イエス・キリストを、神のひとり子であり救い主であると信じる者たちの群れである。イエス・キリストは現在のイスラエル、当時のローマ帝国の属国ユダヤに生まれ、エルサレム郊外で十字架につけられて死んだ。しかし、キリストは3日目に復活された。そのことによって、この世界の創造者である唯一の神が、わたしたち人間を愛していてくださり、その不完全さや過ち、すなわち神に対する罪を、神が赦してくださることが示された。すべてのクリスチャンはそのことを信じている。
 キリストの十字架と復活から一月半ほどして、残された弟子たちが集まって神に祈っていると、彼らに神の聖霊が降った。弟子たちは、学識もなく、地位も名誉も無い人間たちであったが、この聖霊の力によって力強くイエス・キリストの救いを人々に語るようにされ、彼らのメッセージを聴いた人々がイエス・キリストを信じるようにされ、エルサレムにキリスト教会(初代教会)が生まれた。

 当初このキリスト教会を迫害していたユダヤ教徒のパウロは、シリアのダマスカスのクリスチャンを迫害するためにエルサレムから旅をしている途上で、復活のキリストに出会う。彼はこの体験によって、クリスチャンとなり、熱心な伝道をする者となった。パウロは特に非ユダヤ人に対してイエス・キリストの福音(喜ばしき知らせ)を伝えるものとなった。小アジアからギリシャ、そして晩年はローマにまで宣教したのである。

 以上の歴史は新約聖書に示されているが、新約聖書は1世紀から2世紀頃にパウロやその他の使徒(キリストの弟子)、また当時のキリスト教会の教師たちによって著され、まとめられていった。この新約聖書およびキリスト以前に著された旧約聖書の各文書は、信仰の証言であり、それぞれの文書が、たとえば時代的・文化的制約の内にあったとしてもなお、完全な「神の言葉」であると、クリスチャンは信じている。

 313年にローマ皇帝コンスタンチヌスが出した、いわゆる「ミラノ勅令」によってキリスト教はローマ帝国の公認宗教となり、やがてその国教となる。基本的なキリスト教の考え方は4世紀から5世紀にかけて何度も開催された教会会議(公会議)などで整理され、ニカイア信条・アタナシウス信条・カルケドン信条にその成果は示されている(三位一体の神、真の人・真の神としてのキリスト)。またローマ教会を中心に「使徒信条」が形作られていった。

 新約聖書の成立も、その後の諸信条の成立も、キリスト教会が、異端すなわち間違った信仰理解に対して対応した結実でもある。主として政治的な問題から、11世紀にローマ教会(カトリック教会・その頂点がローマ教皇)を中心とするカトリック教会とコンスタンチノープル(今のイスタンブール)を中心とする東方教会すなわち正教会とが分裂するが、その以前からローマを中心とする西欧においては、ローマ・カトリック教会)を中心とした中世が始まっていた。

 中世において教会は信仰と学問の中心となっていく。さらに経済社会という側面でも教会の修道会は大きな役割を果たすようになる。同時に、教会に大きな政治的権力も集中していった。中世は、世俗の政治的権力である神聖ローマ帝国皇帝やその他の王権と、ローマ教皇との対立の歴史でもある。

 現在のサン・ピエトロ教会を建設するために教会がドイツで発行した「贖宥状(免罪符)」に対して、マルチン・ルターが神学的疑問をなげかけたことにより、宗教改革が始まる。1517年にヴィッテンベルクにおいてルターが発表した『九十五か条の論題』がそれである。ルターにはローマ・カトリック教会に対抗して新しい教会を始める意図は全くなく、単なる神学的な疑問の提示をしたのであるが、結果的にこの行為が宗教改革のきっかけとなった。ルターは、聖書のみに基準をおいて考え、人間の救いは、すべて神の恵みのみによるものであり、人間から考えるならば、信仰のみによるのであり、贖宥状を買うなどの行為によるのではないことを示した。「聖書のみ」・「恵みのみ」・「信仰のみ」は宗教改革の3大原理といわれる。また、神の前にはすべての人間は罪人であり、神父(牧師)であっても他の信徒同様に「赦された罪人」であること、またすべてのクリスチャンが直接にイエス・キリストの名によって祈ることができ、礼拝でき、また聖書を解釈できることを示した。(万人祭司
 宗教改革はルターの他、スイスのジュネーブを中心に活躍したカルヴァン、チューリヒのツヴィングリなどの指導のもと西ヨーロッパに広まったが、ローマ教会(カトリック)もこれに対抗して自己改革を行っていった(反宗教改革)。この過程でドイツ農民戦争など多くの宗教的対立による悲劇も生じた。16世紀の宗教改革では、世俗の政治権力の支配領域ごとに、その領域に生きる人々の教派とが決められることになった。(アウブスブルグの和議)生まれた土地によって、カトリック信徒となるかプロテスタントの信徒となるかが決められたわけである。(領邦教会国教会
 イギリスでは、教義的問題からではなく、イギリス王室とローマ教会との政治的対立から、イギリス国教会(聖公会)が生まれた。やがて17世紀ピューリタン革命が生じ、国教会内部においてもさまざまなグループが生まれたが、中には国教会から分離するグループも生じた。われわれバプテスト教会は17世紀にこのイギリスにおいて生まれたと歴史的には考えられている。イギリス国教会・政府は国教会以外の教会を非合法なものとして弾圧したが、これによってバプテスト教会も弾圧され、オランダへと逃亡を余儀なくされるものも出た。

 このように迫害される者たち中に帆船メイフラワー号に乗って新大陸に渡ったものたち(ピューリタン)がいた。彼らはイギリスにおいてもヨーロッパ大陸においても安住の地を得られず、アメリカ大陸に新天地を目指した。彼らの中に信教の自由を信じる者たちがおり、やがてこの考え方がアメリカにおいて一般化していく。信仰は国家が決めるものではなく、神の聖霊の自由な働き、神の恵みに対して、一人一人の人間が自由に応答するものであるから信教の自由が大切であると彼らは信じた。そして国家権力が個人の信仰に介入することに対して政教分離を主張したのである。何より、真実の教会は、神の恵み、呼びかけに応答して集められ、信仰を自らの自由意志をもって告白した者たちによって形成されることを信じた。そのような教会を領邦教会・国教会に対して自由教会と呼ぶ。バプテスト教会は自由教会である。自由教会の成立を特に「後期宗教改革」とも呼ぶ。
 
 彼らは新大陸において信教の自由・政教分離を大切にしながら今日のアメリカ合衆国を形成していった。バプテスト教会はこのアメリカにおいて多くの人々を惹きつけ、アメリカにおいて最大の教派(キリスト教のグループ)の一つとなっていった。現代のアメリカ合衆国をはじめとする民主主義は、バプテストの考え方に多くを依っている。 
 19世紀に生じた信仰復興運動の中で、ヨーロッパやアメリカのクリスチャンたちはアジア・アフリカ等への海外伝道の運動が興った。その端緒はイギリスのバプテストであったウィリアム・ケアリーである。ケアリーはインドに宣教師として渡り、長年にわたってインドの人々のために働いた。ケアリーに続いて多くのプロテスタントの宣教師がアジア・アフリカに派遣されていったが、そうした運動の生じた時期と、日本の開国とが重なったことは日本のクリスチャンたちにとって大きな恵みとなった。ペリー提督の黒船に乗り込んだジョナサン・ゴーブル(Jonathan Goble)は、後にバプテストの宣教師として横浜にやってきたが、プロテスタントの他の教派の宣教師たちも鎖国を解いた日本にやってきた。同時にカトリック教会も日本の宣教を再開する。 
 ゴーブルに続いて、インドのアッサム地方での宣教経験のあるネーサン・ブラウン(Nathan Brown)が横浜に派遣された。この二人を中心にして横浜に最初のバプテスト教会が設立される。日本バプテスト同盟の直接の始まりは、この日本バプテスト横浜教会の設立である。(このあたりの経緯については、日本バプテスト横浜教会のホームページに詳しい。)ゴーブルは、ひらがなによる平易な翻訳で「マタイによる福音書」の和訳を発行し、ブラウンはヘボン宣教師たちとの共同で聖書の和訳事業に参加した。しかいブラウンは、「バプティゾー」というギリシャ語の和訳において中国語聖書が採用していた「洗礼」という用語が、本来の意味である「水に浸す」という意味を表していないことに異議をとなえ、やがて独自に聖書和訳を行った。この聖書はヘボンたちの「委員会訳」がある程度教養のある人々を対象とした訳文であったのに対し、平易な文面とし誰にでも理解できるように配慮されたものであった。
 日本におけるバプテスト教会の宣教は、第二次世界大戦以前において、おおよそ東日本をアメリカの北部バプテスト(現在のアメリカン・バプテスト)系が担当し、西日本はアメリカの南部バプテスト系が担当した(日本バプテスト同盟は前者の後身である。)。やがて第二次世界大戦への歴史においてバプテストも政府の指導のもと日本基督教団に加入した。すべての国民生活を政府の統制の下におくために、ほぼすべてのキリスト教会が一つにまとめられたわけである。これに第二次世界大戦の時期、わたしたちのグループの教会も結果的には日本政府の戦争行為に協力してしまった。そのことに対して、日本バプテスト同盟は「戦争責任に関する悔い改め」を決議・発表している。
 第二次世界大戦が終わると、アメリカ南部バプテスト系の教会は日本基督教団を離脱し日本バプテスト連盟 を結成した。アメリカ北部バプテスト(アメリカン・バプテスト)系の教会は、戦後も日本基督教団内に所属していたが、1948年にそれらの教会の交わりとして「日本基督教団新生会」を組織した。その後、バプテスト教会のあり方をめぐって教団離脱問題が発生したために、1953年「基督教新生会」に改組し、その立場を表明するものとして、翌年「基督教新生会綱領宣言」を採択した。そして、1958年、基督教新生会に属する教会の中から日本基督教団を離脱した教会()を中心として、新しく「日本バプテスト同盟」が結成されたのである。
 わたしたち「日本バプテスト同盟」は、以上の歴史をふまえて、2001年の総会において「日本バプテスト同盟信仰宣言」を決議した。これは現在におけるわたしたちの信仰の宣言であり、自己紹介である。

*アメリカン・バプテスト系の諸教会のうち、日本キリスト教団に残留した諸教会は、「教団新生会」としてバプテスト教会の伝統を守られています。

(文責:塩釜キリスト教会 山田崇浩)


「ヨーロッパを中心としたの思想・神学の流れ」(神学の学びのために)

(上図の中に、説明へのリンクがあります。)

 西欧の思想あるいは神学の起源の一つはもちろんイスラエルの旧約聖書(ヘブル語聖書)であり、キリスト教の新約聖書である。その流れを「ヘブライズム」と言うが赤線で示す。ヘブライズムは一神教であり、哲学的には一元論である。

 これに対して、プラトンに代表されるギリシャを中心としたヘレニズムの考え方がある。ヘレニズムは哲学的には二元論である。(プラトンのイデアと現実)その流れを青線で示す。
 中世の教会においては、この二つの流れが継承されいた。これに対してルネッサンスは古代ヘレニズムへの回帰運動であった(青線の赤線からの分離)。また、宗教改革は、教会におけるヘブライズムへの回帰運動であるといえる。

 宗教改革によって生まれたプロテスタント教会は、一元的な組織体ではない。それぞれの教会の文化的背景・歴史的背景の中で、多様な教義的違いによって細分化されていくのがプロテスタント教会の歴史である。
 特に17世紀における自由教会の成立は、宗教改革の完成ともいうべき動きであった。各国のルター派・改革派の国教会・領邦教会に対して、ここでバプテストやメノナイトさらにメソジストが生まれていく。
 ルネッサンスから啓蒙主義を経て、近代合理主義思想が生まれ、その中から唯物論が生まれる(マルクス・共産主義)。近代合理主義思想は、キリスト教会にも大きな影響を与え、19世紀のプロテスタント教会に「自由主義神学」が生まれる。
 しかし、第一次世界大戦を契機として、自由主義神学に対抗する、すなわち近代合理主義に対抗する神学が生まれる。それが「神の言葉の神学」すなわちカール・バルトの神学である。

 20世紀も後半になると、かつての国教会・領邦教会があった地域においても、その制度が信教の自由という面から改革され、いわゆる教会税の強制もなくなっていく。その意味ではすべてのキリスト教会が自由教会となっていっているといっていい。日本においてはカトリック教会といえども自由教会である。バプテスト教会は自由教会の草分け的存在であり、またその考え方(教会論)は、自由教会の一つの典型であるといえる(成人の信仰告白をともなうバプテスマ・メンバーシップ制による教会形成)。

 この図には示していないが、どの時代においても、またどのような考え方のグループにおいても、その内部には先鋭あるいは原理主義的な側面の強いグループと、寛容なより客観的冷静なグループが存在する。その意味では宗教の名称や教派の名称では計り知れない歴史と歩みがあるといえる。

 バプテスト教会は、神の聖霊の自由な個々人への働きを重視するので、結果的に多様な礼拝様式、神学を包含する教会となっている。しかし、日本バプテスト同盟の諸教会のルーツは、17世紀イギリスに興された近代バプテスト派であり、教義的にはカルヴァン主義である。総じていえば、「信仰告白を伴う浸めによるバプテスマ(Believers Baptism)」、「メンバーシップ制による教会形成(会衆主義あるいは民主主義・教会契約)」、「個人の良心の自由の重視」、「政教分離の主張」、「個別教会の尊重」、「各個別教会の協力の重視」、「教団は個別教会の相互協力のための横のつながりである。(教団は「公同の教会」と同一視されてはならない。)」という教会論を除いて、カルヴァン主義諸教派と神学を共にしている。
 日本バプテスト同盟は、自立した個別の教会の相互協力のためのアソシエーション(相互連帯組織)である。日本バプテスト同盟は所属する教会・伝道所の上位にたつ組織体ではない。従って、日本バプテスト同盟の教派としての働きはすべて、所属の教会・伝道所・協力団体の教師(牧師など)・信徒の献金と奉仕によってなされている。


(文責:塩釜キリスト教会 山田崇浩)

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